語源説を辞書に載せることの批判としては、工藤力男「辞書編纂における研究者の責任」(『国語学』52-1(204) 2001.3)が、よく知られていますが、他にもあります。
はやく、『日本国語大辞典』初版が出た頃の、月刊『言語』の1978-1「特集 日本語の語源」に収められた文章でもお二人が書いています。
ほぼ時を同じくして小学館からも『日本国語大辞典』が刊行されたが、この辞書の語源説のまとめ方は、一般人を対象とした辞書の記述方法としてはいかがなものであろうか。調べあげた玉石混淆の語源説を併記するという方法は、専門家にとってはそれでよいとしても、巷間には、辞書の記述という視覚的なもののもつ一種の権威を背景にして、ますます民間語源説(語源臆断・語源俗解)を撤き散らす結果を招くのではないかという危倶を感じさせるのである。井手 至「語源研究のために」
『大』(『日本国語大辞典』――引用者注)は沢山の語源説があるから、どうぞお好きなものをこの中からお選び下さい!といった感じで、客観的だが大変無愛想だ。〈語源〉としないで〈語源説〉とした所にこの辞典の編者の苦心がうかがわれ、またこのような諸説もその筋にはありがたい集大成であるには違いないのだが、そのような親切もアダになりかねない。吉田金彦「ことばの内部構造と語源」
第一に玉石混合した数説の中、どれが本当か、学習者は選択に迷うだろう。第二に語源は沢山あってもいいのだ、沢山あるのが語源だ、という誤解を導きはしないか。第三に語源は語源、意味は意味として、語源と意味との有機性をしらずしらずのうちに見落してしまわないか……等々。
コメント(0)| Track back(0) | 2005-03-01 13:55:59
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